何気ない線


都市計画や街並景観などではよく電柱や電線はないほうがいい、と言われますが僕は反対です。
ときどき、美しい表情を見せてくれるし、電線があると人が住んでいる生活感があります。
問題は歩道の狭さを電柱の責任にしてしまうことだとも思います。
もちろん、電柱や電線がないほうがよいところもあります。仙台市の青葉通りなんかはそのよい例。電線とケヤキが見た目にも衝突してしまいますので。
2007.09.21 | | Comments(2) | Trackback(0) | 考えごと:都市


都市計画や街並景観などではよく電柱や電線はないほうがいい、と言われますが僕は反対です。
ときどき、美しい表情を見せてくれるし、電線があると人が住んでいる生活感があります。
問題は歩道の狭さを電柱の責任にしてしまうことだとも思います。
もちろん、電柱や電線がないほうがよいところもあります。仙台市の青葉通りなんかはそのよい例。電線とケヤキが見た目にも衝突してしまいますので。
2007.09.21 | | Comments(2) | Trackback(0) | 考えごと:都市
最近、学校に行くのにバスをよく利用しています。実は僕の家の最寄バス停からは学校の近くまで通じていて、電車のように乗り換えもなく、しかも席に座れないことがないくらいです。
東京のバスは200円(もしくは210円)で好きなところまでいけるのが魅力。先払いなので降りるときにあわただしくしないでも済みます。空調もかなりよい。今年の春からはSuicaやPasmoも使えるようになり、さらに便利です。
ただ平常時にどうしてバスを利用しないかというと、とにかく時間がかかることです。東京の渋滞は慢性的で、特に朝はひどい。自転車で35分の道のりがバスだと一時間強。なので混んでても電車を使ったり、自転車で行くのが早かったわけです。夏休みにつき、時間にゆとりをもって学校に行けるようになったので快適なバスを利用していたわけです。
で、確実に座れ、ゆったりとした一時間が過ごせるバスで毎日少しずつ「人間都市クリチバ―環境・交通・福祉・土地利用を統合したまちづくり」を読み、ようやく読み終えました。
この本はもっと統合的に書いてある本ですが、折角なのでバスについて書きます。
クリチバのバスには専用レーンがあり、そこを東京の地下鉄のように(もしくはそれ以上)休みなくバスが走っています。日本のバスと違って専用レーンがあるので(優先ですらない)時間にきっちりとしているそうです。さらに、バス導入によって渋滞も緩和。
もともと地下鉄を導入する予算がなく、代わりに導入したバス。地下鉄以上に効果を発揮することになりました。
バス停はチューブ状の形態で、バスに乗る前に料金をそこで支払うそうです。これによって、日本のバスよりも出発時にもたもたしません。東京のバスは乗り換えができず、別の線に乗ろうとするともう一度200円を支払うことになるのですが、クリチバのは日本の地下鉄のように乗換えが可能です。しかも、料金はどこまで乗っても均一なのでシステムのイメージとしてはパリやローマの地下鉄に近いです。
何より、公共交通機関を利用するのはエコです。今ではクリチバでは市の援助金がなくても採算がとれるくらいのものだそうです。何より、バスは地下鉄よりも安上がりでいいです。地下を掘る初期費用としての工事代、電気代などの維持費等々。人の動きを考えても地下鉄は人が上下の移動を強いられ、できればないほうがいいし、東京の現状を見て、それがユニバーサルデザインになっているとは思えない。東京のバスも時間がもっとかからなかったら普及するのでしょうが。それと、地下鉄に比べ、系が多少複雑になりすぎている感があります。わかりにくい、ということでしょうか。せっかく車内は快適なのに残念です。おそらく、東京だけでなくさまざまな地方都市が同じような現状だと思います(ただ、春に行った富山のライトレールは魅力的でした。システムも調べてくればよかった)。
逆に、クリチバのバスシステムはあまりにもエレガントに問題が解決されているので疑いたくなるくらいです。こんな都市に日本もなればいいな、と思うのですが、そもそも、「なればいいな」、ではなく、「したい」、と思う土壌が日本にはないですね。この辺は日本人の伝統的な社会観ともしかしたら関係がないわけではない気がします。それを、最近考えているところです。
2007.08.12 | | Comments(0) | Trackback(0) | 考えごと:都市
今読書中の本(続・街並みの美学)、人のこと言える立場でもないですが時々筆者の日本語が稚拙。それと、前著からですが、古典主義的なところを感じます。
ただ、近代以降の日本の都市づくりは僕も好きじゃないです。生じた問題を賢くない方法で解決して、結局新しい問題を生んでいる、それでいて元の問題もあまり変わってなかったりする。そう思います。
例えば、歩道橋。歩行者を一時的に上に押し上げることで交通問題は少しは解決したかもしれませんが、その分歩行者に階段上下の負担を強いる。強い車が優先であることを象徴するものだと思います。しかも、結局それはユニバーサルではないから、横断歩道と歩行者用信号は残ったままのところもある。元の問題が解決していない。
例えば、駅前の喫煙スペース。歩行喫煙をなくすつもりかもしれませんが、減っているようには思えません。そして喫煙スペースの周囲は囲いも何もないからその周りを歩くだけで受動喫煙になります。さらに、そこには缶やペットボトルが散らかって汚い景観ができてしまいました。
問題は一人一人の意識でもあるのですが、デザインでどうにか出来ることもある。なぜならデザインは人の心にまで働きかけるものだから。主に交通の面からですが、去年の今頃にそんなことをぼや〜と考え始め、2,3ヶ月後には卒業制作にしたい、との構想が生まれました。
時々それについて書いていこうと思います。文章化するのは考えをまとめるのには最適ですので。
蛇足で、曖昧ながらも都市の理論、考察から単体建築へ演繹することもできるだろう、とここ数ヶ月思ってます。
2007.07.11 | | Comments(3) | Trackback(0) | 考えごと:都市
いつも自転車に乗っているから感じるのですが、たまにある車のナンバーを隠して走る自動車、法的にも問題ですが、あれって顔隠しながら歩いているのと同じだなぁ、と。
現代日本のプライバシー意識ってのは異常じゃないかと思います。同じことが家の塀にも当てはまる気がします。日本の伝統的な住宅はそもそも個室がなく、プライバシーという概念すら存在が疑わしかったくらいです。戦後、本格的に西洋化する中でそれを上手く日本の中に溶け込ませることができなかったのでしょうか。もともと日本は外国の文化を取り入れつつ消化してきた歴史があります。その途中が今ならいいのですが、そういったプライバシーに関する意識は固定されてしまった感があります。
プライバシーを過度に意識する状況は防犯に対する意識とも関連すると思います。防犯カメラの過剰と思えるほどの設置などは都市に住む人は慣れたかもしれませんが、初めての人は異常に感じるはず。そういった防犯への依存が結局、家と外部を塀で仕切るようなことになるのでしょう。壁というのは、以前読んだ本にもあったのですが、拒絶すると言う意味では実に暴力的です。
単純に解放すればいいというわけじゃないと思いますが社会のプライバシーに対する意識が革命的に変化することが起きなければこのままの状態って続くと思います。地道には変わりがたいほど、今の日本はプライバシーについて神経質になりすぎているような気がします。個人的には人口減少が何か新しい変化をもたらすようにも感じますが。だとしても数十年後のこと。
2007.06.05 | | Comments(0) | Trackback(0) | 考えごと:都市
こないだ書いた仙台の河原の植物伐採の話から。
伐採後の様子。石と土のみの河原。殺風景です。
昨年の夏。たまたま一眼レフで撮った写真がありました。信じがたいですがほぼ同じ場所です。やはり繰り返すのですが、こうした背景には近代以降の都市観が見られます。都市はそこにあるものはすべて管理できなければいけない、公園に生えている植物と同じように、都市内の植物は全て人工的な力によって支配または抑制しなければいけない、という考えです。きっと市は街路樹などと同じようにここに生えている木の本数も知っているでしょう。
そもそも、都市の中にある植物とは見た人の目を休める程度のものか、領域を定めるデザイン的な方法(家の塀やガードレールの代わりにする、等)にしか用いられません。本来の自然的な植物は決して上記のような意図を持っていません。それは、もっと自由であるはず。
都市では人間の歩くところはまるでアスファルトやコンクリートの上と決まっているようでもあります。例えば、先日オープンした東京ミッドタウンの芝生。
オープン当初は(昨日行ったときもありましたが)芝生が養生中ということもあり、「入らないでください」と書いてある看板がけっこうありました。でも、それが記されていないところは入っていいはず。でも、誰も入りません。みんなアスファルトの道を選んで歩きます。そう思ったので試しに僕が芝生の中に入ってみたら、警備員さんがじーっとこちらを見てました。やはり、きまりが悪い。
東京ミッドタウンの芝生を用いるのが悪いってことではないんです。ただ、用い方なんでしょう。2m先の芝生越しの通りが芝生のせいで精神的に遠く感じてしまうのです。
東京ミッドタウンは裏側にも道が通じてます。でも、裏からは中に入りづらい。これは21_21design sightの裏側ですが、こんな風に植物が前述の通り、敷居みたいに使われているので入れないんです。無理に跨いで入っても芝生の中。東京ミッドタウンは現代都市の中の植物のあり方を見本のように表しています。
むろん、植物を放置しておくと虫が大量発生するなどの被害も予想できます。でも、それは田舎でも同じこと、むしろ虫はつねにいます。確かに、虫は精神的、衛生的によいものとされませんし、それを否定もしません。
それについて、今日の住宅の先生が話しておられたことなのですが、
「家の中に入ってくる虫を駆除するのはわかる、自分の領域だから。でも都市の中の虫まで駆除するのはやり過ぎじゃないか、人間は都市を人間以外の生き物が生きられないようにしている」
と。
それで、僕は都市で人間以外の生物が自然に共存するような、新しい都市はできないのか、と考えています。そのプロセスこそデザインだと思います。単に一つの都市だけでなく、今やそれは地球規模で必要なのは昨今の環境問題を踏まえてみても自明です。
2007.05.07 | | Comments(0) | Trackback(0) | 考えごと:都市
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Author:kiokucoragist
東京の某デザイン研究所学生。日記とたま〜に博物館(含ギャラリー)や映画、デザイン全般について書いてます。映画を一年に一本くらい、ヒマみて撮ってます。映画制作中は制作日記になります。
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