建築の後

2007横浜大桟橋 2007横浜大桟橋2


約1年ぶりに横浜の大さん橋フェリーターミナルに行ってきました。ここはランドスケープとしてかなり気に入っていたのですが、写真のような状況。一部の芝生に入れなくなっていました。しかも、コーンなんか置いちゃって。。。芝生に入れたときと比べて、人が歩けるスペースは急に狭くなっていて、本来開放的な場所にも関わらず窮屈さを感じました。

僕は前々から入れない芝生は不必要だと思っています。田舎育ちだからそういうことを思ってしまうのかもしれませんが。直すんならさっさと直してほしいし、入れないままならいっそのこと別物を作ってしまうなど新たな解決策を探す方がいいと思います。とにかく、写真のような現状は名建築にしてはあまりにも情けなさすぎます。

2007横浜大桟橋3


ちなみに、この日、ここでは屋上の一部を使って結婚式が行われていました。foaが設計にこんな使われ方を想定していたかはわかりませんが、原っぱのようでいいなぁと思いました。日差しが強かったけど。。。

2007.09.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | 考えごと:建築

住宅

篠原一男の『住宅論』、二回目読み終えました。まだレポートを書けるほどの理解ではないので最低もう一回は読まないと。

結局、一緒に読み出した『続住宅論』のほうが読み遅れました。

今の時代は住宅に関して言えば惨めだと言わざるを得ません。主流は未だ戦後の中途半端な機能主義。思想もなく輸入した西洋化。犯罪に対する意識から生じた刑務所のような街並み。

伝統のあった近代以前は民家は保守的でありながら、土着的的で、まだそれらが文化であった時代でした。無意識的にしろ。
その無意識さが画一的な住宅が技術により可能になったとき、現在のような状況へ繋がったと思います。
今は、文化といえるような住宅が非常に少ないと感じます。雑誌を見ているうちは気付かないことですが。東京を歩けば明白。もともと、建築は文化のはずなのに。住宅が商品となったあたりから変わったのでしょうか。同じ量産としても、篠原一男の言う原型住宅との差は明らかです。

主流を曲げるのは大きな労力が要りますが、かなり遅れて、これから何十年かかっても住宅を文化の域に底上げする必要があると思います。
これこそ、技術が向上し、個人がより世界に開かれた現代の責任な気がします。

と、たまに一般論を述べてみたかった。

2007.08.04 | | Comments(0) | Trackback(0) | 考えごと:建築

家について、とりあえず軽く話をしよう。

黄色の地に赤の文字。文字の線は太めで。斜体などがかけられていることもある。黒で縁取りや影をつけることも。

薬局や家電量販店、スーパーなどの広告でよく見かけます。つまり、上の特徴を備えていると安売りや特売であるイメージがつきます。そう思いませんか?少なくとも僕はそうです。(タワーレコードは別ね、よく見ると微妙に黄色が違います。)


それでこないだ、北関東あたりを電車に揺られながら窓の外を眺めてたときのことです。建売の住宅が販売されていました。そこに、旗が立っていてさっきの特徴を備えた様子で「好評販売中」。
僕には黄色地に赤文字は上記のようなイメージがあるので関係ないくせに頭にきました。家をまるで大量消耗品のように。きっと売ることだけを考えてそうなったんだと思います。住む人のことなんか考えもしないで。だいたい好評なら売れ残ってるはずないだろ、って思います。家は一軒しかないのだから。


本当に住む人の生活が考慮されているなら、家は一軒一軒違うはずだと思っています。住む人が違うのだから。それにも関わらず、家は建ててあるものを買う感覚は未だ消えません。
住居人の意識もあるのでしょうが、家に関しては普遍的なものよりも特殊なものを目指すべきです。誰でも住める住宅ではなく、自分自身にしか合わない住宅、そのほうがいい。誰にでも住める住宅はどこかで住人の個性と衝突をするはずです。
一生住む家だし、決して野菜や絆創膏のような安い買い物でもない。だからこそ、家を望む人は自分自身に合う家を真剣に考えるべきなのだと思います。日本の、特に地方にいくほど何故かは知りませんがそういう意識に欠けるような気がします。
マンション等、集合住宅はとりあえずこの場合除いておきます。集合住宅はまた別の視点から考える必要があります。

消費者側の問題ばっかりあげてますが、問題は一方的なものでもないです。とりあえず住宅についてはまだ書いたことがなかったと思うのでいつも思ってることから書いてみました。色んな人がこの問題については考えているでしょうが。思うところはまだまだあるんですけどね。

2007.04.02 | | Comments(0) | Trackback(0) | 考えごと:建築

わたしの使った黒いボールペンの芯

最近、何気ない建物でも見てしまうようになりました。きっと中の構造はどうのこうの、だとか。窓の位置が崩してあるのはきっと内部がどうのこうのだからかな、とか。あ、二重性だ、とか。バイトとヴェンチューリの本の影響だと思います。

自由学園明日館


ただ、建築を体験する、ということについて。「せんだいメディアテーク」に本を借りにいったり、映画の上映会を開くときと、フランク・ロイド・ライトの「自由学園明日館」を訪れるのには違いがあります。前者は、まさに使用者として建築を体験することで、後者は建築を体験するためにそこに行きます。つまり、その建築の本来の目的に対しての態度の違いです。前者のことをたしかフランク・ロイド・ライトは「生きた建築」といっていたはずです。

「せんだいメディアテーク」はまさに本を借りたり(図書館が入っているので)、シアターがあるので上映会など、イベントを開催することは目的です。しかし、「自由学園明日館」はもともとは校舎であって、見学のための建築ではありません。同じくル・コルビジエの「サヴォア邸」はもともと住宅です。


サヴォア邸内部


色んな建築を観にいこう、とするとき、どうしても意識してしまうのは後者、つまり、建築を体験して、自分の勉強に活かそう、ということが多くなりがちです。実際、利用もしつつ意識的に学ぼうと思う建築はほとんどなく、特に数十年前の建築になると「サヴォア邸」や「自由学園明日館」のように、本来の目的にはもはや使用されていない建築ばかりです。
空間から学ぼうとすることが悪いというわけではなく、むしろ同じくらい大事なのですが、せめて本来の目的を失った建築でも、それらの使われ方を想像してみなければいけないと思いました。今までの自分にはそれが欠けていた気がします。そうでないと、結局それらは博物館に飾られ、鑑賞されるだけの民藝品のようになってしまうと思います。


※写真は「自由学園明日館」と「サヴォア邸」それぞれの内部。今日、初めてスキャナーのフィルムスキャンをしてみました。

2007.02.21 | | Comments(0) | Trackback(0) | 考えごと:建築

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プロフィール

kiokucoragist

Author:kiokucoragist
東京の某デザイン研究所学生。日記とたま〜に博物館(含ギャラリー)や映画、デザイン全般について書いてます。映画を一年に一本くらい、ヒマみて撮ってます。映画制作中は制作日記になります。

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