今思うと大牟田へは絶対的な正当性を無意識的におぼえながら向かっていった気がする。誰も止めてはいけない。家に帰るよりも絶対的な正当性。
昨日の広島。「ひろしま2045:平和と創造のまち」プロジェクト。広島市環境局中工場(谷口吉生)と西消防署(山本理顕)しか行ってないが、十分に面白かった。一部とはいえ、中を見学できるのがいい。建築も目的なのだけど。そういう所って、修学旅行でもなければ中に入る機会がないから。生活に近いのによく知らないそれらを日常的にも見せてくれることはすごくよい。ただ、日常的に見るには遠いのが欠点か。特にごみ処理場は仕方ないことだけど。
平和記念資料館はじめその一帯。資料館。大まかなことは何かしらの方法で今まで知っているにしても、改めてショックを受ける強さが原爆被害にはあった。月曜なのに空いているわけではない。多くは観光者だろうが、安心した。これだけの人が平日でも訪れる。周辺一帯は何かと象徴的だ。平和記念資料館のピロティですら象徴的である。いつか、8月6日に来てみたい。
市内には原爆の歴史を伝えるものが少なくない。広島という都市はそれらによって街に重みを与えられている。もちろん、よい意味で。京都のような歴史的価値が原爆という物語性によって付加された。皮肉なことだけども。(一部編集)
08:03
第二桟橋の門は赤く、鳥居のようにも見える(大久野島にて)。発電所。シンプルなSRC造がこれ程悪魔的な魅力に見えたことはない。建物に入るのに威圧感があった。いわゆる、廃墟。大きく抜けた空間、朽ちただけでこんなにも美しくなる。文脈なども関係なしに。周辺の草木の量。ツタがからみついた躯体。割れたガラス。この島での65年前のこと。とにかく、正常ではないものを見ていたし、そこにいた。(中略)
そこから山道に入る。日差しが強く、山道もやさしくはない。至る所で虫、動物を見る。それと、茂みからの音。ザワザワする感覚。おそろしいくらいに過敏になっていた。自然とは本来脅威である。
展望台について、ようやく安心した。視界が開けた。瀬戸内海が美しい。下り道は要所要所で美しい景色があったのでそれ程大変ではなかった。ただ、道にくもの巣がはってあるのがつらかったが。この島の西側は比較的平和である。自然の中にぽつんとある古びた人工物。この島のおそろしさを助長するようだった。
この歴史は原爆ほど一般的ではない。しかし、歴史の中に埋もれさせてはいけないと思う。この島にウサギが多い背景も。
11:08
山陽を移動中。港から駅までが近い。それに対し、垂直方向に長く線路がある。方位と地図の関係もそれに加わり、今、水平方向に強い意識がある。しかし、これと日本人の水平方向への志向を結びつけるのは無理がある。
電車が遅れている。それはいいとして、天気が心配だ。夕日が映えてないと、今から行く浄土寺浄土堂の重要な見所が一つ減る。
13:45
2007.08.28 |
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広島にいる。まず、思うのが公共性が発達していること。路電とアストラムライン(地下鉄?)と通常のバス、P&C事業。交通量が多い。路電は実際に使うし、魅力的である。こうした公共性への指向は、この街の歴史と無意識的にでも関連しているのでは、と思った。まだ、その一帯には足を運んでいないが、しかし、それ以外の点では歴史を忘れているように見える。日常の表面だけは。
しかし、今、平和記念資料館の前を通った(このときはバスの中)。美しいと感じた。機能は基町高層アパート群に行った。広島の、やや郊外。郊外については一昨日感じたことを書いたが、ここは違う。背景が前知識としてあるからか、一種の哀しさやむなしさがあった。美しさの陰に。
篠原一男を思い出した。カオスな生活感と、モダニズムの統一性。そして、現在、モダニズムの敗北ともいえる状況。モダニズムは終わっていないが、時代もまた変わった。(一部編集) 09:07

【“20070827”の続きを読む】
2007.08.27 |
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博多は面白い街だった。他の都市と変わらない統一性のないビル。キャナルシティがひとつのポイントとなっていて、また、天神地区のにぎわいもある。夜、ラーメンの屋台。この街の名物のひとつだが、それが街に活気を生んでいて都市中心部でありながら人間らしさを感じる。夜の博多は、とんこつくさくて、よい。
05:10

宮島。厳島神社がやはり目的だったのだけれど、山の中や集落のほうへも向かった、そちらのほうは、人通りが少ない。野生化した鹿も見られた。やはり、古い家ばかり、という訳ではなかったが、魅力的な通りだった。宮島の魅力はこちらのほうにあるのではないか、という考えさえ起こる。厳島神社が宮島に入ってすぐにありすぎるのかもしれない。もっとも、そうでなければあの鳥居などがなくなってしまうのだが。
厳島神社は非常によかった。海を建築に取り入れている、という点では現代ですら及ばないものがある。厳島神社の様な住宅に住んでみたい、と思うことも間違いとはいえない。厳島神社は、寝殿造の平面と大きく関係があるからだ。寝殿造で現代に遺されているものは一つもないが、厳島神社は平安時代の絵巻物と同様、その手がかりだという。
寝殿造は渡り廊下などでつないでいた。日本の住宅の中でも特異な様式だと思う。一瞬、森山邸とイメージがかぶさった。厳島神社の広縁にあこがれる。
今、お茶屋で冷やしクリームぜんざいと冷やし抹茶をいただいている。おそらく古い民家のリノベーションで、屋根の架構に荒い木をそのまま使っているところが特徴的だ。
13:26
追加:身や島は傾斜に沿った家が並んでいて、坂を大変と思わないのならレベルの差が面白い。

2007.08.27 |
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くもり空で蒸し暑い。この蒸し暑さの感じは初めてだった。よく眠れなかったのかもしれない。とりあえず、住宅地の中を通った。住宅地の中を通るのはなかなか不思議だ。そこの生活を知らないから。魅力的な路地がある。しかし、土地の人でなければ迷い込みそうで、入れない。
確信と疑問が繰り返された。地元の人にとっては、やはり見知らぬ人。珍しいから。話しかけてもらってもくれた。結局、目的のアパートの断定はできなかったが、良かった。地元の人でさえ曖昧。20年は長い。
なんとなくな記憶。おぼろげなもの。ただ、商店の硝子に映り込む自分はいた。なつかしくない。でも、そんあものでよい。このあたりだった、という確信。それでよかったので博多に向かう電車の中にいる。
09:15
福岡グルメ紀行。キャナルシティは色合いはキッチュだが、素敵な空間だった。そこからアーケード街へ続いているのも良い。土曜の昼、アーケード街は静かだった。旅行者が来るようなところではないのだろう。
でも、生活があった。アーケード街に入る前の古い食事屋に入った。そのほうがおいしそうだった。そう感じるようになった。焼きめし(チャーハン?)が非常に美味しかった。
続いて、アーケード街に入る。しばらく歩くと、ふと並んだアーケードの店舗の一区画だけぶち抜かれている。図と地で言えば、地の部分。虚の空間の美しさ。アーケードの裏には川が流れているのが分かる。そこで、ぜんざいを売っていたので食す。見える景色は日本の混沌としたビルだが、空間を抜いて店にする発想が非常に気に入った。美しいと思う。ぜんざいもうまい。甘いものは僕のエネルギーの素です。
13:10

ネクサスワールドとぐりんぐりんを回る。(中略)
しかし、どちらも郊外。2つがそれほど遠くなかったのは幸いだったが、郊外の開発ってそれほど需要があるんだろうか。閑散としている。ネクサスワールドを歩いていて、人影が見当たらなかった。ぐりんぐりんにいたっては土曜日なのに客と自分しかいない時間がほとんどだった。開発途中の郊外って殺風景でいやに開けていて好感を持てない。つくっている人にはビジョンが見えているのだろうか?とさえ思うくらい。たとえ見えていてもそれは果たして現実的に実現しうるのか、と思う。
問題は、アクセスが車、もしくはバスを前提としていることだ。それが郊外型の基本だが。僕は歩いていった。そこに人間らしい街並みを見ることはできなかった。買い物も、大型ショッピングセンター。人の生活ってそういうものであるべきだろうか。用意された生活。まるで、人が都市にペットのように飼育されているようだ。先ほど市内で見た、閑散とした静かな、でも生活がある商店街とイメージが対立した。(以下省略、一部編集、加筆)
17:15
2007.08.25 |
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今敏監督の「パプリカ」を観ました。
夢について一度僕も映画撮ろうと思ったことがあったのですが、自主制作の域を超えてそうだったし、やたら時間がかかりそうだったこと、脚本がストップしてしまったことが理由でやめました。
この映画はアニメですが、実に象徴的な映画だと思いました。フロイトの夢分析などを考えればどうしても夢って象徴的になってしまうと思いますが。
夢の世界の表現がスムーズで面白い表現が多々あって、面白い映画ってけっこうそうなのですが、自分自身で映画を語ってたりします。やはり映画監督は映画が好きでないとダメですね。
2007.08.25 |
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窓の外は日本が広がっている。初めての景色だが、妙な納得。ここは日本なんだという感覚。これが、山形の風景だといわれてもそう思うはずだ。ただ、この景色を知らない。
日本の景色はストレンジャーにとってどうなんだろうかと思った。この場合、ストレンジャーは2種類に分けられる。片方は日本の文化を知らずにこの景色と向きあう海外旅行者のようなストレンジャー。もう片方は、今の僕のように、日本の文化にいながらまったく知らない景色を見るストレンジャー。同じ日本の景色、と自分に思わせるものはなんだろうか。ビル、道路、植物、田、住宅・・・地方の差が見られないことは悲しむことか、安心することかよくい分からない。
住宅をよく見るようになった。アノニマスの。100年以上前の街づくりをしているところが未だにある。実に情けないことだと思った。
文化が過剰に多様性へ向かうことは文化の喪失につながらないか、と考えた。それをただ無批判に歓迎している場合じゃないかもしれない。制約とか、自由を謳う現代はそれを嫌うだろうが。昔、様式は文化だった。自然の制約が地方の民家の統一性を生んだ。(一部編集)
09:26
明石海峡大橋の美しさにみとれる。 09:40
(前半省略)
それにしても、屋根。日本の住宅の屋根は象徴的だ。技術的にはフラットルーフでも問題はないのだが、やはり多くの住宅は切妻屋根を保っている。やはり住宅は保守的なのだ。歴史的に、ずっと。
最近、民家と現代の住宅について、その保守性と美について考えたことがある。
ところで、青木淳の住宅街に建てた家はふぁさー度が切妻屋根だけど、象徴性が消えている。それは、操作から生まれたからだろう。意味が無味乾燥している。悪いことではない。
青木淳と篠原一男に共通点を感じる。(一部加筆、編集)
15:05
(全文省略) 18:10
下関の駅構内の立ち食いで食べた肉うどんが信じられないくらい美味だった。こんなに美味しくていいのかと思った。420円したが、十分それだけの価値がある。それ以上だ。いや、立ち食いとかの域を超えている。
もう一杯食べたいところだが、なんかマヌケだし、電車に間に合わないともっとマヌケなのでやめておく。しかし、すごく美味しかった。
18:53
九州にあっさりと入る。トワイライト。それと、工場の鉄塔。
美しい車両が迎えてくれた。今日最後の乗換えだ。
九州についたことを直感的に感じられたのか、嬉しくなった。
19:13
【“20070824”の続きを読む】
2007.08.25 |
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不思議な感覚を味わっている。回り道をしたから?去年のヨーロッパに比べて、とても入念に準備をしているように思う。少なくとも、時間をもてあますことはなさそうだ。計画的すぎる、というか。でも、悪い気もしない。嬉しいのは、自分の出生だ。
明日の今頃は、もっと嬉しいだろう。家を発つ前に、たとえば夜行バスのときと同じように、入浴をしてきた。あるイメージがその時浮かんだ。赤い、というか光が赤いのか、そんな色合いで、暗い。光が重なっているように見えるが、その岩一つ一つはまるで人の歯に似たフラットなテクスチャーをしている。そして、形は不揃いながら、規則正しく並んでいる。光は全体ではなく、一家世に、懐中電灯のような狭光。焦点があるという点で、絵のようだった。
書き始めたのがちょうど電車出発と重なった。今は、品川と横浜の間だ。
旅行というには軽すぎるし、旅というのでは重過ぎる気がした。
だから、これにはなんとも言葉を当てはめがたい。(以下建築の夜景について省略、本文編集済)
23:28
追:4年前に乗ったのと同じ電車とは思えない。高速バスのような内装になった。4年前は通路にも人があふれていて、その人たちには大変だったろうが、貧乏旅行の趣が見られた。
2007.08.25 |
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携帯で打つと民芸の常用外の“芸”の字が変換されないんですね。
というわけで仙台市博物館で開催中の「柳宗悦と東北の民芸」に行きました。
東北のってことでだいぶ期待して行きまして、期待以上のものが見れた気がします。
とにかく、美しいものが多いです。普段の着回しから漆器、壺、編物など。
自分の学識のなさから、これは関東のものだ、と言われればそう信じてしまうのでしょうが。
アノニマスな民衆が美しいものを作っていた事実、また用の美といった概念はまさに見て知りそ、です。
改めて現代は本当に物質的豊かさと引き換えに失ったものは多い、と痛感します。
そして普段使いのそれらに施された装飾のよさ。何かしら、モダニズムが捨てた装飾とは違った、しかし、機能化した装飾、という言葉もしっくりこない。装飾が生活それ自体の象徴であるような、そういう風に感じました。
こんな美しいものに囲まれていたなら、デザイナーは要らないな、とすら思えました。事実、いなかったのですが。柳宗悦が民芸運動の頃は、日本は近代化が進んでいました。そして、デザイン、という言葉の前身として図案という言葉が生まれました。会場には柳宗悦自身の図案による箱などもありました。
近代が生活の美しさを奪ったので、美しいものを希求するために工業生産を主導するデザイナーが必然的に社会的に必要とされ、生まれた。という無茶のある仮説をたててみました。
民芸と対にある職人芸や、近代の身分制度の解放とデザイナーの社会的位置づけなどを考えてみるとたとえ正しくなくても面白いかな、と思いました。
それと、同様のことが民家と建築家についても考えられると思います。明治以前には日本には建築家はいなかったのですから。
2007.08.21 |
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友人から借りた「サクリファイス」の小説(タルコフスキー本人執筆)の日本語訳を読みました。今は絶版なのでしょうか?
短いのですんなりと読めました。一応、映画も観てますからね(眠かったけど)。もう一回映画を観たくなりました。
小説と映画ではやはりイメージが違いますね。言葉と映像(音)の違いを感じました。訳者あとがきで引用されていたタルコフスキー自身の言葉が印象的。言葉の抽象性(タルコフスキーの言葉では象徴)を超えて、映画は否応なく直接的かつ感覚的なイメージを喚起させます。
それと、タルコフスキーの撮り方もありますが、映画がその限られた時間で表せるのは文字にすると本当に短い。だから、映画の原作なんて短いほうがいいのかもしれません。じゃないと、安易な省略なんかで原作を好きな人の期待を裏切る。
ただ、昔の映画は原作があっても素晴らしい作品は多くありました。30、40年代のフランス映画とか。映画としての再解釈が出来ているからかもしれません。まるで映画と原作を別の作品のように扱う。ストーリーが似ている別作品。つまり、原作も映画もそれぞれを尊重している結果だと思います。
安易な手法では他ジャンルが原作のものを映画化するのは馬鹿げているのかもしれません。映画のための文字は映画自身のために書かれるべきだと改めて思いました。そのときの書かれた小説は例え映画よりも作品性が強くなくても、もともと映画ありきでそれに従属するものですから。もっとも、映画を作品としてではなく、経済の対象としてみるなら話は別ですが(笑)。
2007.08.19 |
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旅行を計画しています。
西日本。修学旅行なども除き、まともに西日本へ旅行するのは初めてですが、とりあえずは主に建築と都市ツアー。
プランを組んでいて改めて感じるのが江戸時代まで西日本が日本の中心だったということ。行きたいところが全部回れません。これが東北ツアーだったらほとんど回れてるんじゃないかと思うほどです。とりあえず四国と山陰は捨てざるを得ない結果に。行くと長居しそうな奈良、京都、大阪もあえて通り過ぎることに。
それでも一週間の予定が10日くらいになってしまいました。
大きな移動は少ないので18きっぷ一枚で何とかなる計算。途中で駄目になったら帰ってきます。
いかに軽装でいけるかは重要です。特に、旅行行くと買い物とかで行くときの2倍くらいの荷物になる人なので。たしか去年の旅行記も途中で放置してた記憶があります。今年は無理せず書きます。
予定では大牟田、福岡、広島、淡路、金沢、白川郷、名古屋を主に回ります。
旅行に行くと後になってからあそこにも行けばよかった、とかもっと見とけばよかったと思います。例えば、修学旅行時の奈良東大寺や、去年のパリのサヴォア邸。旅行は感受性のある若いうちに、とも言われますが、一方でそれに対して明確な考えを持ったときに行きたいってのもあります。矛盾したこの2つの考えをまとめるといつ行ってもいいってことになります。なので時間のある今に行くことになりました。帰ってきたら課題が素敵なことになってると思います。
2007.08.19 |
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JR山形駅トイレには上の写真のものが設置されてます。

これがそのピクトグラム。昨日山形で会った友人にその話を聞き、ぜひと頼んで送ってもらった写真です。
実は、これ嘔吐のために作られたもののよう。発想もすごければ、このピクトグラムもかなり表現うまいですね。男女トイレ、どちらにでもあるようです。聞いたら、昨日飲んだうちの一人はこれを実際に利用したことがあるそうで。実際これはどれほど利用されているのか、設置前と後で効果はあったのか。興味は尽きません。
これがあれば駅員のつらい、嫌な作業がなくなるわけです。いや、驚いた。
2007.08.18 |
| Comments(2) | Trackback(0) | デザイン
旅行に行く友人らを送りに秋田市まで行ってきました。
実家から秋田までは2時間強ありまして、今までの人生でも数える程度しか行く機会がなかったのですが、せっかくなので見送った後に市内をぶらぶらしてみたわけです。
第一印象は閑散としてるなぁ、と(笑)。駅の東口のほうは一戸建て住宅が見られましたから。駅前にあるフォーラス(仙台と秋田にあるファッションデパート。東京でいえばマルイ)がもの悲しい。そこに入っているビレッジバンガードも少し狭くてまた悲しい。
現状ではそんな感じですが、これからの発展を考えれば魅力的になる要素もありました。
駅の改札と東口、西口をつなぐ改札の高さ(二階の高さ)にある歩行者用の道。これがそのままアーケードにつながって、軸線になっています。この道が何とも魅力的。デザインはまた別としてね。似たのは他の地方にもありますが、アーケードにつながって軸になってるのがいい。
その軸から少しずれたところに大きな公園があり、軸が持つ強い中心性を弱めていてよいです。
道路は多少わかりづらい。秋田市は川が多くあると感じたのですが、その影響でしょうか。雄物川(合ってるかな?)なんかはかなり素敵。
川と橋は都市の地域を分断すると思います。例えば、こちらは住宅地域であちらは商業地域、というように。
なので、今後秋田が著しい発展があるとすれば先ほどの軸と川を上手く利用すると魅力的になると思います。土壌はあるので。
帰るとき、稲庭うどんを食べました。有名なお店だったみたいです。15分くらい並んだのですが、美味しかった。
2007.08.15 |
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実家です。虫の鳴き声が庭からします。
帰省中の電車内で「続住宅論」読み終わりました。絶版本ながら、これ読まないとレポート書けないよ、と思いました。「住宅論」を振り返ってまとめてみたり、新しい展開してたり。何より自身の作品が出てくることが多くなりました。前著より文章が洗練された印象。
それにしても「あるデザイン研究所で生徒を持つことになって・・・」ってわかりやすいなぁ。僕のプロフィールと一緒です。
ところで、帰省中の山形は、何気にアノニマスでヴァナキュラーな建築が少なくないようで僕としては嬉しい限り。新建築社の「日本の建築空間」にもいくつか載ってて(その全てが必ずしもアノニマスでヴァナキュラーとは限らないが)、かのルドフスキー著「建築家なしの建築」にも日本で載ってる2つのうち、片方が山形の民家です。
さすが歴史の裏舞台、て感じです。
2007.08.15 |
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昨夜、流れ星を見に行きました。仙台市内で中心部からさほど離れていない川原で観測。街灯がほとんどないのでいけると思ったのですが、そうでもありませんでした。
約1時間で4つ5つ、見ました。ちょっと感動。でも最後のほうは多少慣れてきたのと眠かったです。でも、不思議な感覚でした。平面的に見える空に点が移動する、もしくは線が一瞬現れる。
写真を撮ろうとしました。一眼でないと撮れません。流星とタイミングが合わなかったのと、それとやはりうまく撮れませんでした。バルブを開いて長時間露光を行うのですが、星はきちんと光として写っても、まわりの夜空もグレーになってしまったのです(星もハイライトでなかったから別にオーバーだったわけではなく)。全体的にもっさりとした写真になりました。言われなければ夜空なんてわからない。
改めて、街灯がないところでさえも都市の夜空って明るいなぁと思いました。星が見えても田舎に比べると少ないようです。
そういえば、小学校の頃、なんとなく毎日星を見て日記につけてました。カシオペア座しか知らなくてカシオペア座しか見てませんでした。
東京の夜空は明くて驚いたことがあります。
都市で星空が見えない。当たり前なのですが、それが都市が失ったものの一つだって、なかなか気づかないものです。未来の都市は星空が見えるような豊かな都市であってほしいと思います。都市の光は防犯や事故防止のため、とか現実的な問題もあるのですが、それを矛盾なく解決できないだろうか。
田舎の夜、山の中、前がほとんど何も見えないことの未知への恐怖を都市は知りません。都市の夜の恐怖は人災的なそれであって田舎のはより人の根源的な恐怖。恐怖ってネガティブなものに聞こえますが、そういうのも大事じゃないかと思いました。
2007.08.13 |
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最近、学校に行くのにバスをよく利用しています。実は僕の家の最寄バス停からは学校の近くまで通じていて、電車のように乗り換えもなく、しかも席に座れないことがないくらいです。
東京のバスは200円(もしくは210円)で好きなところまでいけるのが魅力。先払いなので降りるときにあわただしくしないでも済みます。空調もかなりよい。今年の春からはSuicaやPasmoも使えるようになり、さらに便利です。
ただ平常時にどうしてバスを利用しないかというと、とにかく時間がかかることです。東京の渋滞は慢性的で、特に朝はひどい。自転車で35分の道のりがバスだと一時間強。なので混んでても電車を使ったり、自転車で行くのが早かったわけです。夏休みにつき、時間にゆとりをもって学校に行けるようになったので快適なバスを利用していたわけです。
で、確実に座れ、ゆったりとした一時間が過ごせるバスで毎日少しずつ「人間都市クリチバ―環境・交通・福祉・土地利用を統合したまちづくり」を読み、ようやく読み終えました。
この本はもっと統合的に書いてある本ですが、折角なのでバスについて書きます。
クリチバのバスには専用レーンがあり、そこを東京の地下鉄のように(もしくはそれ以上)休みなくバスが走っています。日本のバスと違って専用レーンがあるので(優先ですらない)時間にきっちりとしているそうです。さらに、バス導入によって渋滞も緩和。
もともと地下鉄を導入する予算がなく、代わりに導入したバス。地下鉄以上に効果を発揮することになりました。
バス停はチューブ状の形態で、バスに乗る前に料金をそこで支払うそうです。これによって、日本のバスよりも出発時にもたもたしません。東京のバスは乗り換えができず、別の線に乗ろうとするともう一度200円を支払うことになるのですが、クリチバのは日本の地下鉄のように乗換えが可能です。しかも、料金はどこまで乗っても均一なのでシステムのイメージとしてはパリやローマの地下鉄に近いです。
何より、公共交通機関を利用するのはエコです。今ではクリチバでは市の援助金がなくても採算がとれるくらいのものだそうです。何より、バスは地下鉄よりも安上がりでいいです。地下を掘る初期費用としての工事代、電気代などの維持費等々。人の動きを考えても地下鉄は人が上下の移動を強いられ、できればないほうがいいし、東京の現状を見て、それがユニバーサルデザインになっているとは思えない。東京のバスも時間がもっとかからなかったら普及するのでしょうが。それと、地下鉄に比べ、系が多少複雑になりすぎている感があります。わかりにくい、ということでしょうか。せっかく車内は快適なのに残念です。おそらく、東京だけでなくさまざまな地方都市が同じような現状だと思います(ただ、春に行った富山のライトレールは魅力的でした。システムも調べてくればよかった)。
逆に、クリチバのバスシステムはあまりにもエレガントに問題が解決されているので疑いたくなるくらいです。こんな都市に日本もなればいいな、と思うのですが、そもそも、「なればいいな」、ではなく、「したい」、と思う土壌が日本にはないですね。この辺は日本人の伝統的な社会観ともしかしたら関係がないわけではない気がします。それを、最近考えているところです。
2007.08.12 |
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ネコの足。昨夜飲み会帰りに撮りました。

今度は顔にピントを合わせたのですが、こちらのほうがピント甘いです。
2007.08.09 |
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篠原一男の『住宅論』、二回目読み終えました。まだレポートを書けるほどの理解ではないので最低もう一回は読まないと。
結局、一緒に読み出した『続住宅論』のほうが読み遅れました。
今の時代は住宅に関して言えば惨めだと言わざるを得ません。主流は未だ戦後の中途半端な機能主義。思想もなく輸入した西洋化。犯罪に対する意識から生じた刑務所のような街並み。
伝統のあった近代以前は民家は保守的でありながら、土着的的で、まだそれらが文化であった時代でした。無意識的にしろ。
その無意識さが画一的な住宅が技術により可能になったとき、現在のような状況へ繋がったと思います。
今は、文化といえるような住宅が非常に少ないと感じます。雑誌を見ているうちは気付かないことですが。東京を歩けば明白。もともと、建築は文化のはずなのに。住宅が商品となったあたりから変わったのでしょうか。同じ量産としても、篠原一男の言う原型住宅との差は明らかです。
主流を曲げるのは大きな労力が要りますが、かなり遅れて、これから何十年かかっても住宅を文化の域に底上げする必要があると思います。
これこそ、技術が向上し、個人がより世界に開かれた現代の責任な気がします。
と、たまに一般論を述べてみたかった。
2007.08.04 |
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言葉と感覚。
こういうことを以前にも書いた気もしますが、書いてないかもしれないです。同じこと何度言って悪いわけでもないだろう。その度に言い回しは異なるのですから。その方が意味にも近づきます。
一昨日の続き。
言葉が非常に強い意味を持つことを書いたのですが、それと感覚の場面でのこと。
言葉と感覚を連関させるために、敢えて便宜的に感覚を5つに分けます。視覚、聴覚、嗅覚、体勢感覚、味覚。
それらのうち、最も関連する言葉が多いのは視覚でしょう。また、視覚は科学的手法において数値化できる要素も多いと思われます。これが感覚の視覚優位が原因なのかはわかりませんが。逆に言語の多さが視覚優位にフィードバックしているのかもしれません。はじめにロゴスありき。近代に入って生み出された芸術は写真、映画(最初は無声)、どちらも視覚に関するものです。
携帯電話も通話でなくメールが圧倒的に普及しているのは聴覚でなく、視覚に依存している人間の性質が出ているのかもしれません(ただ、それだとテレビ電話が普及しない理由がわからないことになってしまいますが)。
以前、講義で五感のうち、一つ捨てなければいけないとしたら?というものがありました。現実的にはナンセンスなのですが、僕は視覚を選びました。消去法で体勢感覚と嗅覚はないと思いました。体勢感覚が無くなれば、空腹も感じない。痛みも感じない。自分がまっすぐ歩いているかもわからない。つまり、命に直結します。体勢感覚というのはそういう意味では人間の根本をなす感覚とも言えます。
嗅覚。嗅覚を捨てるくらいなら味覚を。味覚は嗅覚に依存しているので(僕が五感という言葉を嫌う一つの理由)嗅覚がなくなれば味覚もなくなることになります。
残り3つはある程度は個人の好みのような気もしますが、映画が観られなくなっても(残念だけど)僕は視覚を捨てたい。視覚は強すぎる、と感じたのもその理由の一つです。あと映画は観られなくなりますが、多分ゴダールなんかの映画は聴いてるだけでも楽しめる。
それと、理性のためには視覚としての文字、聴覚としての言語、どちらかがあれば十分に思えました。豊かであることは悪いことではないけれど、僕には視覚は生活の中のエアコンのようにもまた思えました。あると便利だけどなくても生きていけないことはない。ただ、エアコンと同じで一旦手に入れるとなかなか手放せないものです。
次に強いのは聴覚でしょうか。音は波に還元することで数値化できます。音階など広義で言えば言葉の部類に表せます。味覚や嗅覚は専門ではないですが、他に比べれば言語化は進んでないと思います。体勢感覚は一言ではその扱う領域が広すぎます。温度や湿度、テクスチュアなど。
たしか講義の中で敢えて捨てる感覚に視覚を選んだ人は少なかったと覚えていますが、それだけ現代生活というのは視覚情報が多いものなのでしょう。視覚情報なしでは生活できないくらい。視覚情報の多さがまたプライバシーの領域を変えていきます(これについてはもう少し考えます)。
持つ意味一つ一つが強すぎる時代。昨日観た映画を引用して終わるなら、その強さの裏に『かつてないほどの空虚』な時代があります。
2007.08.03 |
| Comments(0) | Trackback(0) | 考えごと:饒舌
爆音イベントも最後。「フォーエバー・モーツァルト」、「愛の世紀」と続き、「アワーミュージック」をたまたま泊まりにきた大学時代の級友を巻き込んで観てきました。
実は10回くらい観てるこの映画。でも観るのは久々だったりします。
なので素直な感動。音の使い方が神だ。地獄編はそれだけで一本の短編になるくらいの凄みがあります。
「映画とは 光に向かい その光で闇を照らす 私たちの音楽だ」
映画、光、音。まさにこの映画は光と音のイメージの結合だと思います。
煉獄編のラストのゴダールの庭が美しい。頭を打つゴダール。長過ぎる電話線。
民族の問題だけではなく、個人、宗教、様々な視点をまとめあげた傑作です。
2007.08.03 |
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今日の夕焼け。渋谷。東京って空気が汚いのに意外と夕焼けがきれいな時や季節があるのに驚きました。
ここ2,3日、また言葉の具体性について考えてます。というのも最近は印刷する紙にこだわったり、文字組やポイントなど、本格的にグラフィック科くらいに気をつかいだしたからです(フォントなどには軽く気を使ってましたが)。言葉の強さは何度でも再確認されます。
ポスターを見ても目がいくのは文字だったり。
曖昧なイメージは曖昧という言葉よりも曖昧です。
最近、といっても一ヶ月くらい前から聞いてるくるりの新しいアルバム。その中の一曲。「ことばはさんかくこころはしかく」。
勝手な解釈ですが、言葉は前述したように具体的なイメージを持ちます。だから強い。形にするなら安定している三角形でしょうか。一方、こころは移ろいやすいもの。四角は変形しやすく、安定させるためには斜め材(筋違い)が必要です。だから心は四角なのです。
でも本当勝手な解釈です。図形的なこと言えば三角形2つで四角形で、その辺の意図があったりしても知りませんが。
2007.08.02 |
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